射水市BLOG

平成17年2月25日に合併協定調印式が挙行され、いよいよ新湊市、小杉町、大門町、大島町、下村が合併して射水市になることが決まりました。このブログでは新しく作られる、射水の歴史を刻んでゆきます。

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小杉丸山遺跡窯焼フェスティバル

国指定史跡で飛鳥時代後期(七世紀後半)の窯跡などが見つかっている小杉町流通センター青井谷の小杉丸山遺跡で一日、県教委などが主催する「第八回小杉丸山遺跡窯焼フェスティバル」で県民が制作した陶芸作品約八十点の窯出しがあった。

 小杉丸山遺跡では瓦や須恵器(すえき)と呼ばれる土器生産用の窯跡などが見つかっている。また、遺跡には現代風に復元した須恵器窯もある。

 参加者らは八月に信楽焼や備前焼などに使われる土を使って花器や皿を制作。九月二十三日に作品を須恵器窯に入れ、二昼夜半にわたり、参加者が交代してアカマツの薪をくべて約千三百度の火で焼き上げた。取り出した作品は灰釉(かいゆう)と呼ばれる灰で、砂をまぶしたような光沢のある色合いに。参加者はできたての作品を、大事そうに手に取って眺めていた。

 約四十点の作品は同遺跡にある飛鳥工人の館で展示されるそうです。
 中日新聞より
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「最後」のイクリ展示 射水平野土地改良区 63年建造、未使用保管 水郷の農業伝える

射水平野土地改良区は21日までに、小杉町三ケの射水平野土地改良会館前に展示してあった川舟「イクリ」が老朽化していたため、このほど見つかった新しい舟に展示し直した。「イクリ」は排水改良を実施する前の水郷地帯だった射水平野の「証」で、理事長の吉田力大島町長は「大事業だった排水改良や先人の労苦、昔の農村生活を振り返ってほしい」としている。

昭和30年代後半まで射水平野は腰まで泥田につかって農作業が行われる湿田で、用水が網の目のように走っていた。苗や肥料、刈り取った稲を運ぶのが「イクリ」で、農作業には欠かせない運搬手段だった。

1999(平成11)年に完成した会館前に展示された初代「イクリ」は、当時まで使われていたもので、展示後も年々老朽化が進んでいた。農作業の形態が変わり、新たな「イクリ」を探すのは無理だとの声が強かったが、新湊市の中瀬造船所の倉庫に1963(昭和38)年建造の未使用の「イクリ」が保管されていることが分かり、譲り受けた。

「イクリ」は全長約10メートル、幅約1.5メートルで、同土地改良区の職員らは「現存する最後の一隻だろう」としている。

「イクリ」は、同土地改良区が管理する射水郷の水神をまつる舟甲山和田川神社(大門町円池)境内の杉材で造った舟小屋で雨をしのげるようにした。昨年の台風23号被害で倒れた大杉を利用したもので、吉田理事長は「永く後世に伝えていきたい」としている。

(2005年5月22日 富山新聞)

巨大凧 揚がった! 越中だいもん凧まつり開幕

「第27回越中だいもん凧(たこ)まつり」(読売新聞北陸支社など協賛)が14日、大門町の庄川左岸にある大門カイトパークで始まった。きょう15日まで。

大門町が今年11月に「射水市」に合併し、町としては最後のまつりとなることから、町合併50周年を記念して2004年に作られた「だるま凧」(縦約9メートル、横約7メートル)が、会場に詰めかけた町民らも協力して揚げられた。

このほか、全国の32団体約170人がそれぞれの特徴ある凧を揚げる「全国有名凧揚げ競技」などが行われた。

15日も、様々な凧揚げ競技が行われる。

(2005年5月15日 読売新聞)

射水の作家作品 一堂に

射水郡3町1村の作家の作品を一堂に集めた「いみず野美術展」が13日、下村加茂中部の村農村環境改善センターで始まった。15日まで。

美術展には、2004年度に開かれた県展などの出品作品と、いみず野美術展実行委員会(亀谷慶英会長)が推薦した、日本画、洋画、彫刻や写真など七部門の作品、計百点が並んでいる。

日展会友の漆芸家佐伯教通さん(67)=下村白石=の彫金「蛍烏賊(ホタルイカ)」では、漁火(いさりび)に照らされて光るホタルイカの様子が幻想的に描かれ、ホタルイカのキョロッとした目玉が愛らしい作品になっている。

書「成(なり)」を展示した植木寿仙さん(70)=小杉町三ケ、町文化協会常任理事=は「為(な)せば成るという思いを込めて書いた。墨の黒と紙の白い部分のコントラストも見てもらいたい」と話している。

(中日新聞 2005年5月14日)

富山新港さらに発展を~『みなと交流館』開所

富山新港の役割や仮称「新湊大橋」を含む臨港道路富山新港東西線(2002年着工)の事業内容を紹介する「みなと交流館」が新湊市の海王丸パーク内に完成し、富山新港開港記念日の21日、開所式が行われた。

分家静男新湊市長、小泉哲也伏木富山港湾事務所長や放生津小6年生ら約70人が出席。小泉所長は「交流館が地域の人たちの情報交換の場になってほしい」、分家市長は「富山新港は(今年11月発足する)『射水市』の玄関口となる。交流館を通じ、港の発展のために尽力していきたい」とそれぞれ述べた。この後、分家市長らがテープカット、放生津小の児童代表がくす玉を割って完成を祝った。

「みなと交流館」は木造鉄骨平屋177平方メートル。2004年12月着工され、館内には、臨港道路の模型や放生津小の児童が描いたみなと未来図、仮称「新湊大橋」の自転車歩行者道をイメージした実物大の透視図などが展示されている。また、60人収容の学習コーナーもあり、ビデオ上映を通じて、橋梁(きょうりょう)の役割や橋づくりの技術などを知ることができる。

放生津小の児童たちは「この模型を作った人はすごい」などと話しながら、館内を見学していた。

(中日新聞 2005年4月22日)
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